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これからの教育について考えている全国のサイトに投稿しています 


森田と申します。ホームページを見て、メールいたしました。

今日は、教育に関してひとつご協力をお願いしたく、どうぞよろしくお願いいたします。

私は、今、教育の分野で、創造主である神の存在について触れるべきであると思っております。

神の存在は、ダーウィンの進化論によって完全に否定されたかに見えました。
しかし、進化の研究をさらに進めていくと、神の存在は、むしろ逆に、明らかになってきたように思います。
動物は模索しながら進化してきたように捉えられがちですが、実際はそうではありません。動物は、与えられた肉体に感謝して生きているだけで、たとえそれ以上のことを考えても進化には影響を与えません。進化を与えた原因は動物自体にはないのです。また、環境が原因となって進化するということもありません。環境は自然淘汰の与件であって進化自体には影響しないのです。
しかも、動物は与えられた体で他との調和を保ちながら生きており、これは、体を与えた主体の存在を意味しています。
進化論については以下の通りです。
進化論によると、生物の進化とは遺伝子すなわちDNAの変化であり、生物はみな、ある一つの遺伝子から、突然変異と自然淘汰の累積・分岐によって生まれてきたことがわかっています。また、突然変異は、遺伝子が出来る過程で可能なものに限られていました。ですから、どんな生き物でも出現が可能だったわけではありません。また生き物の思考が遺伝子生成のプロセスを有意に変更させることは不可能ですから、動物が工夫して進化
したという話はあり得ません。たとえば、もっと首が長いほうがいいと思っても遺伝子生成プロセスをもっと首が長くなる遺伝子をつくるように変更することは不可能ですから、思考は進化に結びつきません。
このひとつのDNAから進化が可能だった生き物たちが今の自然の調和を作り出しているのです。
自然の調和には、眼を見張るものがあります。生き物とその食物との両方の存在。
例えば、蝶と花の蜜。なぜ、蝶のストローのような口があって、それでちょうど捕食できる花の蜜が存在するのでしょう。食物に届かなかったものは淘汰されてしまったにしても、蝶と花とが別々に進化してきたことを考えると、この二つの関係が成立したことは実に不思議です。
また、進化によって生き物が得た「眼」というものが、光に対して完全に機能するカメラのような構造になったこともそうです。最初のDNA如何によっては、途中までしか進化できなかったり、違う方向にしか進化できなかった可能性が十分あり得たことを考えると、完成した眼の存在は非常に不思議です。
これらがなぜ完成できたのかといえば、すべての種の起源である最初のDNAにその可能性がすべて秘められていたということになります。最初のDNAが存在したことはあきらかですが、このDNAは偶然できた代物だったでしょうか?

このDNAの存在は、天地を創造した存在、すなわち神の存在を証明しているということです。
これは、宗教に限った話ではなく、科学的にも理解できる話です。宗教や国境、人種の壁を超えて、すべての人が共有できる話です。耳や肺、どれをとっても、みな同様に、創造主の英知の結晶です。
最初のDNAの出現、それは、創造主である神様の存在を物語っています。
創造主である神様は肉眼では見えませんが、この天地よりも先に存在し、この天地を創造され、我々人間を含むこの世界にも生命を与えた、というのが神様と私たちとの関係です。

神は、なぜ、この世界を創造されたのでしょう。神には動機があったはずです。それは、私たちが生きていてさまざまな幸福を求めますが、それをすべて満たすことが可能なのがこの宇宙であることから、神は、私たちの幸福な姿を見たかったがゆえ、愛の対象として立たせたかったがゆえ、創造されたということです。
すなわち、神様の愛が動機となって、世界は存在しているのです。私達が生きていること自体、食事がおいしいことや家族がいること自体が、神様の愛ゆえだということです。神様は何もしてくれてないのでは決してないのです。

今、神仏の尊さを教えるべきであるという有識者が増えています。神仏とは創造主なる神様とご先祖様のことをさすといってもよいでしょう。氏神様もご先祖様です。創造主なる神様とご先祖様がいらっしゃらなければ、もともと私たちは存在すらしていません。いのちの尊さの理由として、神仏の尊さとその愛を子供たちに教えるべきです。

そして、ご先祖様も、創造主なる神様によって生命を与えられた存在です。
ですから、教育や社会のなかでいま最も強調するべきなのは、「創造主である神様の愛」だと思います。
生き方についての教育とともに、生きていること自体の根本理由である神様の創造の愛の動機についても教育する必要があると思います。

また、仏とは、先祖のことですが、それは霊界のことです。霊界はないなどと決め付けてしまっている方も多いと思いますが、人間が万物の霊長といわれる所以は、人間が、物質でできた肉体と見えない魂との二重構造からなっていることです。創造主である神が見えない存在であるように、その子供である人間も見えない存在として永生します。地上での生活は、霊界での永遠の生活のための準備期間、神の愛を体得するための期間です。蝶に例えるならば、地上での生活はいわば幼虫時代です。家族や友人、自然を愛することを通して、神様の愛を学ぶようになっています。また神様の愛を学ぶことによって、家族や友人、自然に対する真の愛情を抱くことが出来るようになるでしょう。

ぜひどうぞ、ご理解とご協力をよろしくお願いいたします。



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