ダーウィン進化論からの考察

 森田家庭教会


ダーウィン進化論では、生物の進化を遺伝子の突然変異と生物の自然淘汰で説明します。
ここでは、ダーウィン進化論の骨子から創造主である神の存在証明をしてみたいと思います。

私は、「ブラインド・ウォッチメイカー」(リチャード・ドーキンス著)を読ませていただき、ダーウィン進化論の素晴らしさに感動しました。

進化論については、誤解をされている方が多くいらっしゃいます。
 
たとえば、どうして天使のように、手があって、それとは別に羽根もある生き物は生じなかったのか、鼻の穴が4つある人間は生まれなかったのか?

そういったことを根拠に、進化論を否定する方がいます。
しかし、進化論では、それを十分に研究し、解明しています。

また、キリンは高いところにある草をとって食べるうちに首が長くなった、というのが進化論だと思っておられる方もいらっしゃるでしょう。

しかし、最近の進化論の研究では、その考えはあまり支持されていません。

進化論のなかでも、ダーウィン進化論は、もっとも納得のいく理論であると、私は思いました。

そして、ダーウィン進化論は、決して、でたらめをいっているのではありません。


では、進化論の骨子について、整理してみます。


1、進化は累積淘汰によって実現する。
すなわち、繁殖によって、親の遺伝子は子に受け継がれ、より生き残りやすく、子孫を残しやすい遺伝子が残ってきた。
また、突然変異は、胚(たね・受精卵・子へ受け継がれる遺伝子)発生の過程に変更が生じることによってなされ、自然淘汰は、生き物の生き残りやすさによってなされる。

ですから、どんな生き物や器官でも突然パッとできたわけではありません。
また、変更のされかたによっては、もしかしたらパッと変化する場合もありえるので、たとえ、中間生物の化石が残っていなかったとしても、進化論を否定できることにはなりません。(この文章が気になる方はこちら)

累積淘汰の結果としてその遺伝子が出来ましたので、生き物の遺伝子を比較することによって、進化の経路(系統樹)を調べることができます。
その結果、バクテリアから、松、ミミズ、イモリ、イカ、ニシン、アリ、猫、人間にいたるまで、すべての生き物は、一つのDNAから派生してきたことがわかりました。


2、遺伝子に記録されている情報は、それが細胞分裂を通して生物の形にまで成長するための手順のようなものであり、生物の形そのものの縮小体ではない。

ですから、生き物が生きている間に獲得したもの、たとえば筋肉が鍛えられて強くなった、その強さとかが遺伝することはありません。


3、突然変異と自然淘汰には、生き物の意思は関係なく、環境要件による。

ですから、羽根のない動物が飛びたいと思ったか思わなかったかは、進化とは関係ありません。


4、突然変異は、あらゆる変化が可能なわけではなく、胚発生の過程で可能なものに制限される

ですから、天使のような生き物ができなかったとしても不思議ではありません。


というわけです。

進化論にもいろいろな説がありますし、私の言葉使いも正確かどうか自信がないので、異議を唱える方もいらっしゃるでしょう。

でも、
生物の分類には系統樹が描けること、
したがって進化は累積的なものであること、
進化とはDNA(遺伝子)の進化であること、
したがって進化が発生するタイミングは次世代へ受け継がれる遺伝子が出来る胚発生のときであり、
進化のしかたには制限がある
ことには、異論がないと思います。


これらのことから、私は、以下のような考察をいたしました。

最初のDNAから展開されていって、この地上の生き物すべてが生まれてきたことがわかりました。

最初のDNAがどうだったかによっては、器官の進化が不完全に終わってしまうことも多いに考えられました。


たとえば、眼を通して、外界を認識するには、機能を果たすためにカメラに似た構造、すなわち透明な水晶体や焦点を絞る筋肉、虹彩の絞り、微細な色も含めて光を認識する一億の視細胞、三百万の神経節細胞などが必要不可欠です。

しかし、胚発生の制約を考えると、眼が進化してくる過程で、水晶体ができなかったとか、視細胞ができなかったとかいうことは、大いにあり得たことです。

累積淘汰の段階数を考えると、できなかった可能性のほうがずっと高かったでしょう。

途中の段階までしか進化しなかった可能性やぜんぜん関係ない方向にしか進化できなかった可能性も十分にあるからです。

それを考えると、眼がこれほどまでにすぐれた形に完成し、外界の光をとらえる機能にみごとにマッチしたことは奇跡に近いことであることがわかります。


また、進化の累積は「繁殖」を通してなされたわけですが、

この繁殖に必要な器官についていえば、繁殖できるところまで完成しなければ、進化自体できなかったわけです。

繁殖とひと言にいっても、生殖器や子宮、あるいは卵(の孵化)とか乳房とか、さまざまな器官がそれぞれの機能を果たして初めて出来ることです。


また、蝶の口を見てみますと、ストローのようになっています。一方、蝶がストローを使って吸うべき蜜が、ちゃんと蝶のストローの届くところにあります。

もちろん、ストローが蜜に届かなかった蝶は淘汰されてしまったでしょう。

でも、そのことよりも、蝶の口と花の蜜の両方がマッチする形で現実に存在することに、私は驚嘆します。

これらは、まったく別々の進化の経路をたどってきたものどうしだからです。

アリクイに対してアリ、草食動物には草など、これら食物連鎖の、主体と対象の、みごとな調和。

食物の存在もさることながら、それを消化できる消化酵素もちゃんと体内に存在します。


それらは、みな、ひとつのDNAから、胚発生の制約をくぐりぬけて派生(進化)し、さらには、種の絶滅をのりきってきたものなのです。


最初のDNAにおいて、それらの派生の方向性が約束されていたわけでは決してないはずです。

なのに、芋虫は草を食べて生きるようになっているし、そこにちゃんと草が存在する...。

芋虫のおなかの中は、草を消化して、栄養を吸収し、不要なものは排泄できるように、完璧な形に整えられているのです...。

いったい、なぜ、そこまで完璧な形に進化することができたのでしょう?



確かに、「生存に適しているほうが生き残るだろう」という理屈は間違いないと思います。

しかし、「生存に適しているほうが生き残るだろう」という比較は、「生存に適しているほうが生じてくる」という理由にはなりません

なぜ生じてこれたのか、それは、すべて、最初のDNAの構造にかかっています。最初のDNAに進化の可能性が含まれていなければ「生存により適していても生じてこれない」からです。これは自然淘汰の時点で決まるのではなく、最初のDNAの時点で決まります。


今私たちが生きているこの世界の出現は、一番最初のDNAの時点で決定されていたということです。


すべての種の起源であるこの最初のDNA、
私たちの関心をとりこにし、私たちを夢中にさせ、私たちに生きる喜びを限りなく与えることとなった、この最初のDNAの存在を、どう説明したらよいのでしょう。

大自然の調和をみごとに作り出した、夢のようなDNAの存在を。

それは、実際、創造主である神の存在を物語っているものなのです。



 番目のご訪問、ありがとうございます。


    神とは いったい?

ベートーベンの交響曲第9番が、創造主なる神を賛美した曲だっていうこと知ってました?
当サイトは、創造主なる神の存在を証明します。
私たちはみんな神様の子供です!!
ぜひ、みにきてください。



結婚についてお考えの方に

一番うれしいことだけど、一番難しい結婚。この難局をどう乗り切るかで、人生が決まりそう。だから、ひとりでも多くの人の話を聞いたり、相談したりすることが、あとできっと得することになります。


ご感想

心霊・死後の世界

エッセーのページ

クリスマス


このサイトに関するお問い合わせは、
 森田訓読家庭教会 森田義彦 
 Mail 掲示板の【管理者へメール】よりお願いいたします。      自己紹介