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神の実在を証明するために、背理法を用いました。

神はこの世界の創造主であり、この世界に含まれる存在ではなく、この世界を越えた存在です。

ゆえに、この世界の中にある真なる事象をたどっていっても、神が存在するということは証明できないと思われます。

しかし、背理法は、ある判断の否定を真とすれば、そこから不条理な結論が出ることを明らかにして、その原判断が真であることを証明する方法で、

この方法ならば、たとえすぐに真だとわからない事柄でも、正しいかどうかの判断をつけることができます。


神の存在証明をするために立てる原判断は、「神すなわち創造主が存在する」、というものです。

この原判断の否定とは、「神は存在しない」、ということですから、

証明としては、神すなわち創造主が存在しないとして、不条理な結論が出ることが明らかになれば、神すなわち創造主は存在する、ということになります。


私は、神すなわち創造主が存在しないとして、生物の存在が可能かどうかを検証いたしました。

神すなわち創造主が存在しないとしたら、生物の存在と進化は、単なる物質的な変化、いわゆる突然変異とそのあとの自然淘汰によってなされたということ、もしくは、生物自身の意思によってなされたということになると思います。


まず、生物の意思によって可能かという問題です。

生物は、それ単体で存在できるものはなく、外界との関係のなかで存在しています。

生物が生命を維持するために必要な栄養の補給、子孫を残すために必要な器官などは、生物がこの世に誕生してから経験によって得ていたのでは遅すぎるもので、

生物が誕生したときに初めから機能するように、誕生する前に、すでに、組み込まれていなければならない必要不可欠なものです。

誕生する前ですから、その生物の意思の介在は、明らかに、まったく不可能です。

それらの器官が、生物の存在に絶対必要ですから、生物自身の意思によって進化がなされたということは否定されなければなりません。


次に、突然変異と自然淘汰によって可能でしょうか?

自然淘汰は方向性を与えるといいますが、それは突然変異の結果出来たもののなかから選択するしかないので、突然変異によって進化に該当するものが果たして生じるかどうかを考えてみなくてはなりません。

生物の器官は、栄養を補給したり、子孫を残したり、ものを見たり、音を聞いたりという機能をもっています。

それら機能をもった器官は、その機能を達成するために非常に高度で協調性のある驚異的かつ科学的な構造をしています。

たとえば、目は、光の映像をとらえ脳に伝達するために必要なたくさんのパーツで構成されています。それは人間の研究開発の成果であるカメラの構造と一致しています。
また、耳は、マイクの構造と一致しており、これは音の振動をとらえ脳に伝達するために必要なたくさんのパーツで構成されています。


突然変異ということを考えて見ますと、それは、目的性のない突発的な変化の積み重ねなのですが、

その目的性のない突発的な変化の積み重ねで、それら高度な科学的知識の集積物が出来たと考えるのは、不自然であり、かえって非科学的です。


それに、あらゆる突然変異がなされるなかで、最も環境に適したものが生き残ったという説がありますが、それなら、化石のなかにさまざまな奇形をした生物の痕跡があるはずなのですが、そういったものはいまだ発見されていません。

ということは、生物の進化は、試行錯誤ではなく、明らかに志向性のある進化であったということです。


このように、生物の器官の進化の過程が、より高度な合目的的科学的構造への志向性をもって、子孫を絶やすことなく、進化を続けてきたということは、

無秩序な突然変異による進化ということでは説明をつけることができません。



すなわち、創造主としての神が存在するということが証明でき、そのほうが、科学的であるということがいえます。


結局、生物の形態(体の形)が、進化論でいうように進化してきたことは確かだとしても、
それが、創造主によらずにそうなったということではないということです。



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無神論的進化論では、生物が自分を守るために自分の体を変えてきたという説明をし、それは実になるほどと思わせるのですが、それで生物の進化をすべて完全に説明しきれるかというと、不可能なのです。とくに生命の維持に一瞬たりとも欠かせない必要不可欠な要素の説明は不可能です。

進化論は、生物の進化の現象を比喩的に表現したものであって、進化の説明にはなっていないのです。

また、生物が自分を守るために自分の体を変えるということが、現実として果たしてほんとうに出来たのかと問うてみると、変えることができるということははっきり確証できなくて、

長い間にはそんなこともあったんじゃないか、自分はそう思っていた、という感覚になります。

それは、私たちが、学校で、長い間に生物はこう進化してきたのだと、教えられてきたからそう思っているからで、かなり矛盾したことを学校では教えているということなのです。

テレビでも、そういう表現をしているチャンネルがまだありますしね。

生物がここまで進化してきたのは創造主の導きによるものなのだと考えるほうが、ずっと自然であることをご理解いただけたかと思います。


また、日本の将来の行く末を思ったとき、日本の教育を見直さなければならない、ということも付け加えておきます。

神が創造されたこの世界で、神を否定していれば、運勢を失うのは当然、と思いますので。
最近の日本の景気の低迷や少子化の問題が、このこととまったく関係ないとは、決して言い切れません。
過去に運勢を失って滅んでいった国家は五万とあるのですから、真剣に考えなくてはなりません。

また、国が運勢を失えば、そこで生活している我々の家庭や我々、子孫の運勢も下がっていってしまいますから、ひとごとではないですよね。



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