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私の文鮮明先生への思い


ホームページをご覧下さり、どうもありがとうございます。私がホームページで語った内容は、文鮮明先生より学んだ内容の一部を、自分が理解した範囲で、自分の知識も混ぜ合わせて、自分の言葉で語ったものです。

ですから、文先生が直接語った言葉ではないですけれども、文先生が語りたかった内容とそれほど違ってはいないと思います。

もし、このホームページから受けた印象と、文先生に対する印象とが、かなり違っていたとしたら、それは、文先生を誤解しているか、あまりよく知らないでうわさだけを信じているということだと思います。

それで、ここで、私自身が、文先生のことをどう思っているか、また、文先生に対する評判についてどう思っているかを、語りたいと思います。


1.文先生のことをどう思っているか

文先生が、ご自分の創設した宗教団体のことよりも、神様と人類のことを考えていらっしゃることは、私自身の目と耳で確かめた、確かなことです。

世界平和超宗教超国家連合はじめ、文先生が創設した団体の目的は、その団体の維持拡大のためにあるのではなく、純粋に、人類が神様を迎え、平和で幸福な社会を築けるようにするためです。


私は、文先生の教えを学んで、神様のことをここまで深く教えてくれる人はほかにはいないと、感じています。知らないだけかもしれないので、もしいたら教えてください。
また、神様のことだけでなく、人間とこの世界の存在する理由、存在する原理についても同様です。

現象世界をじょうずに説明したり、人生の生き方をじょうずに説いてくれる人はいても、そもそもなぜ人生というものがあるのかという原理を解説できる人はほかにいません。
そして、なぜ人生があるのかという問題こそが、究極的な課題であることはいうまでもありません。それがわからなければ、いくらじょうずそうに生きたとしても、それで生きる目的をほんとうに達成できたかどうかはわからないからです。



2.文先生に対する評判についてどう思っているか

まず、私は、世間一般の風評にはこだわっていません。
真理を求める場合、自分自身で確かめて、判断しなければならないと思うからです。

文先生は、神様の存在を主張して一歩も譲らず、神様の存在を否定する共産主義に対して真っ向から対決を挑んでいきました。

それが共産主義者たちにとってやっかいなものであることは、当然のことでした。

世間一般の風評の発端を流したのは、共産主義思想家たちであったことを私は知りました。
マスコミや、組合組織、政治組織、さまざまな組織が関与しました。当事者の方はよくご存知だと思います。
でも、共産主義者たちは、自分が間違ったことをしたとは決して思っていません。なぜなら、共産主義者は、神様が存在するというのは偽りだと考えているからです。

社会問題化させたのも、共産主義者たちでした。共産主義者たちは、良心的な人たちをも巻き込んでしまいました。

神様が存在するか否かというところで、もう話が分裂してしまいます。

ですから、私は、そんな背景がある評判は、真実ではないし、事実と乖離しているものだと思っています。

アメリカにおいても同様でしたが、アメリカにおいては、文先生の名誉はもうすでに回復されています。
日本は無宗教の国なので、マスコミも即座に正しい判断ができないでいます。



3.文先生が誤解される原因についてどう思っているか

文先生を通して神様のことを学んだけれども、いろいろなことでつまずいてしまった方もいらっしゃるかもしれません。

それについて私がどう思っているか語ってみたいと思います。

文先生は、語る相手が神様とどのくらい心情が近いかによって、さまざまな表現をされます。
神様の愛をまだよく知らない人には、やさしく神様の愛を語ってくださいますし、
神様の愛が十分わかった人に対しては、現在人類が神様と遠い関係にあるのでそれを本然の世界に戻すために一生懸命努力する必要があることを語られます。
それらは、いずれも、神様の愛を動機として語られていることなのですが、
厳しい説教を聴いて、かえって神様の愛がわからなくなってしまう人もいます。

また、先生の教えを聞いた信徒の中にも、神様の愛の本質がまだよくわかっていない人は当然います。(私自身もまだまだわかったとは決していえません)

そこから、まわりに誤解や無理が生じてしまうことも否定できないのです。

文先生は愛の深い方であることを、私はよく知っています。また、文先生はいつも、すべての人が神様との関係を回復できるように心を砕いてくださっていることを、よく知っています。

どうぞ、よきご理解をお願いしたいと思います。

また、もし皆様のなかに、知らず知らずのうちに神様のために苦労をされた方がいらっしゃるならば、神様は、その苦労を決して忘れません。たとえ、知らず知らずのうちにした苦労であってもです。
神様にとっては、皆様も含めてすべての人が愛する我が子です。そして、皆様がなした苦労は、すべての人類をかき抱いて愛したい神様の願いを成すための苦労であったということです。我が子のその苦労を忘れる神様では決してありません。
それが真実であることを知っていただくことができますよう、こころから祈っております。


皆様の、神様との心情の縁がさらに深くなり、限りない真の幸福を得ることができますように。


(これらの内容は、私自身の私的な見解であり、いかなる個人・団体とも一切関係ないことを断っておきます。)

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