聖書の創造主なる神様と仏教の大日如来は同じ存在、人類の真の父母だってこと知ってました?
人間とはいったい?
森田家庭教会
人間とはいったい何なのか、考えてみたことがありますか?
毎日生活していると、そんなこと考えもしないし、考える必要性も感じないし、考えても仕方がないように思います。
でも、人生は、いつか終わりの日を迎えます。そのときになって考えて、そうだったのかと気がついても、あまりにも遅すぎます。
ここで、人間とはいったい何なのかを一緒に考えていきたいと思います。
私たち人間は、肉体と霊魂の二重構造になっています。
地上での今の生活を終えると、肉体を脱いで霊魂だけになり、霊界で永遠に生活します。
それは、人間が、神様の愛する子供だからです。永遠なる神様の子供である人間も永遠なる存在なのです。
人間は、神の子として創造されました。
聖書に、「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。」(創世記
2章 16節) と書かれているように、人間は何も努力しなくても神様の子供だったのです。
ただ神様の言いつけを一つだけ守っていさえすればよかったのです。その言いつけは神様が将来人間に与える祝福のためにとっておいたものでした。
しかし、失楽園の物語で知られているように、人間は祝福を迎えるまで言いつけを守り通すことができず、未成年期に性関係を結んで堕落し、神様との絆を失いました。
堕落した後に生まれてきた堕落の血統の子孫である人類は、自らを不幸に陥れるような社会を築いてきました。奴隷制度や、暴君、戦争など、堕落圏にある人間のやってきたことは愚かなことばかりでした。
堕落しなかったならば、何もしないでいても神様の子供だった人類なのに、堕落して、罪に汚れた人類になってしまいました。
ですから、この堕落の問題を解決しなければ、人間は本然の幸福な状態に戻ることができません。
人間がより幸福に生きていくために、科学や社会制度が発達してきました。
科学においては、人間の肉体が他の動物と同じ元素で出来ていることがわかりました。
生き物がどうやって生きているのかが研究され、人間の体はどのようにして維持されているのかが研究されてきました。その成果が、医学として大成し、私たちの健康を維持してくれています。また、経済においては、生活に必要な物の取引について研究され、流通経済となっています。また、政治や法律の分野においては、人々の幸福を目的として、みんなが共通して守るべき規則やルールを研究し、施行しています。
これらは、みな、人間の幸福を求めるがゆえになされることです。
しかし、これら科学や経済、政治、法律は、生活を快適にしてくれますが、人間とは何なのかという問いに答えてはくれません。
多くの人は、これだけのことで人生のすべてを費やしてしまいますが、それは非常に不幸なことです。
本来の人間がいかなる存在かを知ることができないからです。
堕落せず創造本然の人間として生きたならば地上での生活がどんなに幸せか、経験できないのみならず、思ってみることも出来ないからです。
堕落の問題を解決して人類に根本的な幸福をもたらそうとしたのは、宗教でした。
宗教の定義を、広辞苑で調べると、「神または何らかの超越的絶対者、あるいは卑俗的なものから分離され禁忌された神性なものに関する信仰・行事。また、それらの連関的体系。」とあります。
神または何らかの超越的絶対者とは、神様とか仏様のことです。
宗教では、人間は、絶対者との関係性を通して、見直されます。
すなわち、宗教の目的は神様との関係を回復することです。
そのために、まず、堕落して神様ではない存在と結んでしまった偽りの親子の因縁を、断ち切らなければなりません。
その存在というのが、悪魔です。
お釈迦様は、悪魔の自在に従わず、悪魔の支配圏である無明から人々を解脱させるために、仏教を説いたのです。
しかし、後世の人々は、お釈迦様が退けた悪魔の実在を、お釈迦様の心の迷いとみなしてしまったようです。
これは大きな間違いでした。お釈迦様が聖人と呼ばれる理由は、悪魔を退けたところにあります。悪魔は厳然として存在していたのです。
イエスキリストも同様でした。
「人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言で生きるものである」(マタイによる福音書4章4節)というイエスキリストの有名な言葉は、悪魔の試みに対する返答として語られたものです。
ですから、宗教の目的は、単に生活を豊かにすることではありません。
生活の豊かさは、神様との正常な関係が回復された後に、神様から与えられるものです。
そのために、神様と人間の間に入り込んだ悪魔を本来の天の使いの位置に戻さなければなりません。
偽りの自己中心的な欲望の主人と化して人間を支配している悪魔を退けるために、宗教の修行がなされてきたのです。
宗教を通して求めてきたものは、神様の愛、真実の愛です。
それは、太陽のように放ち続ける、ために生きる愛です。
愛は目に見えません。しかし、愛が存在することは確かなことです。神様と人、人と人との絆は愛であるべきです。
聖書には、「生めよ、殖えよ、すべてのものを治めよ」と神様がアダムとエバにおっしゃった言葉があります。
生めよ、というのは、人間として完全なものになる、という意味です。
殖えよ、というのは、夫婦となり、子女を繁殖しなさい、家庭を形成しなさい、という意味です。
すべてのものを治めよ、というのは、万物世界を治めなさい、という意味です。
神様は、三段階にわたって、人間のなかに住みたかったのです。
第一番目は、人間ひとりびとりのなかに。
第二番目は、家庭のなかに。
第三番目は、家庭が集まった人類を中心としたこの世界のなかに。
神様がこの世界を創造された目的がそこにあります。
人間とはいったい何なのかという問いに対して、創造主なる神様の視点から見るときに初めて答えることができ、
この3つを形成することが、人間の人生の目的、人間の存在する目的だということができます。
仏教やキリスト教などの宗教の第一の目的は、この原点に戻るためにありました。
今、このように人類は、原点を見出すとともに、新しく創造本然の歴史を改めて始めるようになりました。
こうなるためには、宗教のほんとの意味を知らなければならなかったでしょう。
ここでは、宗教のほんとの意味をお話させていただきました。
これからは、家庭のなかに神様が住むことのできる道へと向かう時代です。
「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。」(創世記)
と神様がおっしゃった創造本然の人間となって、創造本然の喜び、神様の子供として永遠に愛される喜びに生きてまいりましょう。
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