偶然と必然と相対的関係 

 森田義彦


前書き

統一思想において「二性性相の相対的関係」はきわめて重要な概念ですが、統一思想でなくとも「事物の関係性」ということは認識されています。相対的関係を一般的に言う関係性と同じように捉えた場合、相対的関係に続く論理は至極あたりまえか数多い説の中の一つとしか受け止められかねないのですが、「相対的関係」の概念の本質は一般的に言う関係性とは完全に違います。
本論文は、この本質を明確に示すべく、偶然・必然の概念との比較において論じるものであります。


本文

自然現象は偶然と必然に支配されているというのが今日の科学における一般的常識です。必然的に起きたこととして説明できないものは偶然に起きたこととして解釈されます。
しかし、現実世界を見てみた場合、実は、これだけではすべてを説明できないことを明らかにしたいと思います。

現在の科学は、観察事実を基盤として、仮説を立て、その仮説によって観察事実を説明する試みによって、仮説を検証するとともに、観察事実の原因を明らかにしようとするものです。
仮説を立てるときの材料は必然と偶然のいずれかに属し、その結果なされる説明も、当然、偶然と必然とによるものとなります。
たとえその説明に不完全さが残っていたとしても、科学者は説明できるところまで説明したことに矛盾を感じないので、これ以上のことに気がつくことは永遠にないでありましょう。

では、ここで、必然と偶然についてもう一度考えてみましょう。

「必然とは、必ずそうなることを言い、自然的必然性と言えば自然的事象が因果関係に支配されることを言う。
一方、偶然とは、何の因果関係もなく、予期しない出来事が起きるさまを言う。」
(広辞苑より)

偶然には何の説明の必要性もなく、説明のつかないことは十把一絡げにして偶然と言われてきました。しかし、偶然といえども、起きるためにはいくらかの可能性が必要なので、確率が論じられることになります。

さて、本題に戻りますが、必然でないもののなかで、確率のまったくないことが起きていれば、それは必然でも偶然でもありません。

そもそも確率がなければ起きるはずがないではないか、とすべての人がおっしゃるでありましょうが、確率というものは、ある条件のもとに成り立つものです。

すなわち、確率とは、あらかじめ起きる可能性のある事象の中の一つが起きたときに言うことです。

サイコロを振って1億回続けて1の目が出たとします。これは、確率としてはあることなので、そういうことが起きれば偶然と解釈しても問題はありません。

ある遺伝子の塩基配列が突然変異して、違った配列になり、違った姿の生物体が生まれる、ということも、確率としてあり得ますので、どのような形の生物が生じても偶然ということで説明がつきます。

しかし、その生物体に対応するもう一つの塩基配列をもつ生物が生まれたということになりますと、そこには合致という条件がある以上、偶然では説明がつかないことになります。

このような例を、生物において探してみると、生殖器がもっとも良い例です。

ミジンコは、通常雌が単為生殖をして雌ばかりが増えていきますが、生存危機が迫ってくると、雄が生まれ、雌雄の交接から受精を経て、耐久性のある受精卵が作られます。

この場合、耐久性のある受精卵によって生存率が高くなることは容易に推測できるので、そのように進化したのだろう、と考えるのですが、問題は、なぜ、雌に対して雄が交接しうる形をしているのかということです。

ミジンコはかなり進化した生物で、それよりも前から交接は可能だったのだとすれば、単為生殖と雌雄の交接をする一番最初の生物にまで遡って考えてみればよいでしょう。その生物はすでに絶滅してしまっているかもしれません。しかし、ミジンコにおいて実現している生殖形態が達成された一番最初の生物が存在したことは間違いのないことです。そうでなければ、ミジンコの生殖形態はあり得ません。

一番最初の生物ですから、その一つ前の生物は、雌雄の交接が出来ず雌だけで繁殖していた生物ということになります。
もしかしたら、あと一歩で交接ができる生物体だったかもしれません。
しかし、交接できないことに変わりはありません。なので、雄の形は、突然変異によって変化し交接できるようになったとしか考えられないのですが、少なくとも雌の形と合致する条件を満たす必要があります。

さらに、偶然とはあらかじめ起きる可能性のある事象の中の一つが起きたことであるのを思い出してみますと、そもそも雌の形には何かと交接しうるなどという要件はどこにもなかったので、雄が雌と交接しうる形になる可能性はあらかじめあったことではまったくありません。すなわち、偶然ではありません。

にも関わらず、これは必然ではありません。
その形というものは、何かから導きだしたものではないからです。

生存率が高くなるかどうかは、交接に成功し受精卵が出来てから言えることであって、未だ交接しうる形を見出していない段階においては言うことができません。

すなわち、この場合の交接しうる形は、偶然によっても、必然によっても、生まれてきたものではないのです。

このように、自然界の存在様相には、いわゆる偶然と必然だけでは説明のつかないことがあります。

そして、それは、合致という要素を含んでおり、相互補完的な条件を互いに持ち、向かい合う関係を持っています。合致は、他のものでは代用が利かないという意味であり、絶対的な関係を意味します。

これが、統一思想でいうところの「相対的関係」であります。

さらに、偶然と必然は現象の起きるさまでありますが、現象は何らかの相互作用の結果です。一方、相対的関係は、相互作用の前提でありますので、すべての偶然と必然の基礎的前提としても位置づけられます。

したがって、この相対的関係なくしては存在世界の成立を説明することは出来ませんので、相対的関係は存在世界の根本原理であり、森羅万象にあまねく成り立つ普遍的原理です。

現代科学の研究対象の外にありながら、これなしではいかなる現象も説明できない「相対的関係」は、合致という要件を持つがゆえに設計者の存在を意味し、存在世界の設計者すなわち絶対者によって意図されて与えられたとしか言うことができないものであり、絶対者を因とする必然的関係です。


結論

一般的に言う関係性と相対的関係の根本的な違いは、前者が自然界における偶然や必然の結果としてもたらされるものであるのに対し、後者は自然界における偶然や必然によってもたらされるものではなく、かつ、偶然もしくは必然に含まれるものでもないことがわかりました。また、偶然・必然といったいかなる現象が起きる前にも相対的関係は必ずなければならないということも認識できました。
すなわち、相対的関係は紛れもない原理なのです。また、この存在を理由として、その原因者である絶対者の存在が証明されるものであります。



参考文献
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
原理講論
統一思想要綱(頭翼思想)



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