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食べ物を例にとってみましょう。
毎日の食生活で得る喜びは、私たちにとって非常に大きいものがあります。
もし、人間が地上に現れたときに、おいしい食べ物が準備されていなかったとしたら、どうだったでしょうか?人間はまもなく死に絶えたでしょう。
準備されていたのではなく、すでに存在していたものをおいしく食べられた人間が生き残ったのでしょうか?
味は自分で決められるものではありません。同じものなら誰が食べても同じ味です。好みはあっても大差ないでしょう。そう考えると、食べ物がおいしいというのは、まさに奇跡です。
人間の口について考えてみると、その口は、生まれたときからなければ飢えて死んでしまうので、ペアの話と同様に、神があらかじめ創造されたものだと考えられます。
口と食べ物との関係も、ペアの話と似たところがあって、口だけあっても、人間は生きられません。口とその口にあう食べ物とがあってはじめて人間が存在できます。
すなわち、口と、その口に合う食べ物とは、無関係ではなく、その関係は、神が設定したものです。
神は、食べ物と口とがちょうど合うようにされたのです。
これは、ちょうちょの口や、もろもろの生き物すべてについて言えることだと思います。
その口の形は、その口で食べる食べ物のことを知っていなければ出来ません。
しかし、生まれてきて地上にどんな食べ物があるかを知ってから、口の形を考えていたのでは遅すぎます。死んでしまいます。
だから生まれる前からその形は完成していたといえます。
自分が生まれる前ですから、自分で考えたのではないことは明らかです。
すなわち、創造主が考えたといえると思います。
そして、それは、食べたらおいしいと感じるのです。どのくらいおいしいでしょうか?涙がでるほどおいしいときだってあるでしょう。
神の愛がどんなに深いものであるかを示していると思います。
もちろん、料理は調理するからおいしくできます。でも、その食材は、すべてもともと自然のなかにあるものばかりです。
なにかとても不思議な話です。
もし、神の愛がなかったら、生きるために食物を摂取することと、喜びとは、結びつかなかったでしょう。
なぜなら、自分では味を決定できないし、生きるための栄養補給という必要性だけを考えると、喜びとかとは関係ないからです。
だから、食べ物がおいしくて、人間の喜びの対象として存在するのは、神が人間を愛している証拠だといえるでしょう。
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